食の雑学補足 冷麺は冬の食べ物だった
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食の雑学 
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01 キムチの起源
02 ニンニクの原産地と語源
03 唐辛子伝来の歴史
04 ショウガとウコン
05 稲の原産地と日本
06 焼きたてパン信仰
07 エゴマはゴマではありません
08 マーガリンに潜む危険性
09 箸の文化は日本の文化です
10 焼き肉文化と韓国の肉食の歴史
11 日本の食文化・刺身の起源と歴史
12 韓国の冷麺スープを考える
13 ジャガイモと馬鈴薯・日本への伝来
14 メンマの由来と味付けメンマの起源
15 なぜ宵越しのお茶は体に悪いのか
16 お粥は消化吸収が良くありません
17 ごぼう(牛蒡)にアクはありません
18 蕎麦の原産地と日本への伝来
19 もつ鍋のコラーゲンに美容効果はない
20 砂糖の伝来
21  ドングリは食用になるのか
22 サツマイモの伝来とアグー豚
23 蒟蒻(こんにゃく)の伝来
食の雑学・補足
 補 足
01 キムチの賞味期限
02 キムチと乳酸発酵
03 唐辛子日本伝来説に異論
03 馬鈴薯とジャガイモは別物!
04 パンとご飯 どちらが痩せる?
05 辛いものは脳に悪いか
06 キムチは日本起源?
07 中国がキムチの起源を主張
08 世界の食用油 食用油の種類
09 冷麺は寒い冬の食べ物だった
10 日本の割り箸の種類
11 日本の肉食禁止の歴史
トンチミを作る

トンチミは低温でゆっくり発酵させた独特の酸味が特徴のキムチで、材料も大変シンプル、何方でも簡単に作ることが出来ます。
材料:葉付き大根・浅葱(アサツキ)・梨:青唐辛子・赤唐辛子(赤・青共に生)・生姜・ニンニク
作り方: ①葉付きの大根を3cm角のサイコロに切り、粗塩を多めに振ります。本来は縦に大きく四つ割りにしますが、食べることを考え、最初から食べやすい大きさにしたほうが良いでしょうし、味も早く馴染みます。因みに大根の皮は剥きません。
②大根がしんなりしたら余分な塩を落とします。粗塩なので大根は余り塩辛くはなりません。
③ボールに大根と3cmの長さに切り揃えた浅葱(アサツキ)梨(食べ易い大きめに切る)、青唐辛子または赤唐辛子(丸ごと2~3本)、生姜とニンニクを各1カケを5~6枚に薄切りにしたものを入れ、ザックリと混ぜ、再度軽く塩を振ってから、ビニール袋にでも入れ、一晩寝かせ味を馴染ませます。大根を小さく切ってあることもあり、室温も冬場を想定したら冷蔵庫(野菜室)がベストかなとも思えます。
④分量の水を沸かし、味を調整できるよう薄めに塩味をつけ、冷ましておきます。
⑤翌日、甕(カメ)のような深めの器に③入れ、材料がかぶる程度に塩水を注ぎます。そのまま室温に一日放置し発酵させ、塩味を調整してから冷蔵庫に入れ保存します。
⑥6~7日程で食べられるようになります。

辛いものがお好きな方は、唐辛子を斜め切りにするか、爪楊枝で刺し、穴を開けてから使います。
私はこのトンチミの汁にコンソメスープを加え、それを軽く塩をした野菜にかけて「スープサラダ」と称してキャンプでのメニューに加えていました。

韓国第15代大統領金大中 1998-2003
玉流館の冷麺
玉流館の冷麺
日本の伝統の色
Traditional Japanese colors 
 
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冷麺は冬の食べ物だった
冷麺の歴史と起源
冬山遠景

寒さの厳しい冬が冷麺の美味しい季節
冷麺(レンミョン)は朝鮮半島(韓半島)を起源とする麺料理で、文字通り「冷たい麺料理」のことです。大きく分けてスープ付のムルレンミョン(水冷麺)と、スープ無しのピビンネンミョン(混ぜ冷麺)の二種類があります。
朝鮮時代の歳時を詳細に記した「東国歳時記(洪錫謨著1849年)弘新文化社(1989年)」には、11月(新暦の12月にあたる)の季節料理として冷麺が紹介されています。これが冷麺が歴史に登場する最初の文献です。
文献によると、冷麺は夏の食べ物ではなく、寒さも厳しい冬の食べ物だったことが判ります。ギンギンに冷えて少し酸味のあるスープとシコシコの麺、これをオンドルで暖まったポカポカの部屋で頂く、想像してみて下さい、これは絶妙な組み合わせと言えます。冷麺に限らず、冬の暖かい部屋で頂く冷たいアイスクリームや、赤々と燃える暖炉の側で飲むビールは格別です。
「東国歳時記」によると、冷麺は「そば粉の麺に、大根や白菜のキムチ(トンチミ)と豚肉をのせた料理」と紹介されています。この頃の冷麺に用いられたキムチは、現在のような唐辛子を使ったものではなく、いわゆる辛くない「水キムチ」の類が主流であったと考えられます。今でもこの地方では、唐辛子の入らない白菜の水キムチが、郷土料理として多く食べられているそうです。
半島北部は山岳部が多く、土地が痩せています。穀類の収穫がない冬場の冷麺は、理にかなった郷土食と言えます。
         
因みに、文献に唐辛子を使ったキムチが初めて登場するのは、「東国歳時記」より少し古く、「増補山林経済(柳重臨著1766年)新光出版社」で、この中には白菜キムチの他にも、多種のキムチの漬け方が書かれています。
唐辛子や山椒(さんしょう)、ナスと共に、ニンニク(ニンニクの原産地と語源を参照して下さい)が初めて文献に登場するのもこの時期で、まさにキムチが発展してゆく素地を作った黎明期(れいめいき)の時代であったと言えます。唐辛子を用いる料理も数多く紹介されておりますので、この時期には既に唐辛子が生活に定着していたと考えられます。
但し、冷麺の発祥地である半島西部では地域的な特殊性かも知れませんが、唐辛子の入らないキムチが用いられたようです。 「東国歳時記」には「冷麺は関西地方が最も良い」とされ、これは朝鮮半島の西部、現在の平壌(ピョンヤン)あたりを指すものと思われ、今でも平壌式の「水冷麺」と咸興(ハムン)式の「混ぜ冷麺」は特に有名です。上の地図の西側が平壌のあたりで、東側が咸興(ハムフン、ハムン)あたりです。
冷麺は「東国歳時記」が書かれた頃には既にあったようですが、それがいつ頃からあったのかは書かれていません。紀元前7千年頃に西アジアで栽培化され始めたと言われる小麦が、シルクロードを経て紀元前1世紀頃に中国へと伝わり、多種多様の麺料理が各地で作り出されました。そしてその中国から東南アジア、東アジア各地へと伝播して行った製法は、やがて朝鮮半島にも伝わり、山岳地の多い朝鮮半島北部では、良質な蕎麦を使った「ミョン(蕎麦を主原料とした麺料理)」が作られ、温暖な南部では小麦を主体とした「クッス(小麦を主原料にした麺料理)」が発展したものと思われます。
「東国歳時記」には冷麺の他に、1月の雑煮・おこわ、3月のムッとナムルの和え物、6月のすいとん・狗鍋、10月の宮中鍋(唐辛子を使った現在のものとは違います)、11月の小豆粥等の季節の料理がイロイロと紹介されています。これも共に旧暦ですので、新暦では1か月ほどずらしてお考え頂ければ良いかと思います。
韓国冷麺と盛岡冷麺
盛岡冷麺の歴史は、咸興(ハムフン、ハムン)出身の青木輝人(ヤン・ヨンチョル)という人が、故郷の麺の味を忘れられず、この麺の再現を試みて昭和29年に盛岡で開業したのが「食道園」です。そのご改良を重ね、現在の盛岡冷麺の原形を作り上げました。
韓国の冷麺は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争で、南に逃れて来た北の出身者により本格的に普及したと云われ、盛岡に冷麺が登場する時期と重なります。
人々が移動すると言うことは、その属していた地域や部族の文化、食生活も併せて移動すると言うことで、流入した地域の既存勢力と様々な摩擦を引き起こします。一時的にその地域に荒廃をもたらすこともあるでしょうが、長い目で見れば、食文化を含め、新しいものを生み出す大きな原動力ともなり得ます。当初はまるで相手にされなかった冷麺も、改良に改良を加えることにより、日本人の嗜好に合うようになり、青木氏の冷麺は「盛岡冷麺」として今や不動の地位を築くまでになっています。朝鮮半島の食文化が日本の食文化と融合した一つの例と言えます。
本当にうまい冷麺は北朝鮮に行かないと食べられないと信じる人達も多く、2000年に南北首脳会談のため北朝鮮を訪れた韓国第15代大統領の金大中(キムデジュン)氏は、平壌の有名な冷麺専門店の「玉流館(オンリュガン)」で冷麺を食べ、「私はずっと玉流館の冷麺を食べたいと思っていた。本当においしかった」と感想を述べたそうですが、状況が状況でしたし、そもそも政治家の言う事は話半分に聞いておくべきでしょう。
実際にこの店で冷麺を食べた人に聞いた限りでは、「それほど美味しくはない」と言うことでした。好みもあり難しい問題ですが…
上の写真は金剛山の玉流館で、右サイドバーの冷麺は有名なピョンヤンの玉流館冷麺ですが、この盛り付けのセンスの無さには閉口します。食欲が一気に減退してしまいそうなのは私だけでしょうか。
冷麺通販サイトに見る冷麺事情
最近は冷麺を扱う通販サイトが大変多く、09年8月末現在、キーワード”冷麺 通販”で、グーグル検索で約21万件、ヤフーでは約100万件ヒットします。この中には「冷しうどん」や「冷し中華」等の冷麺以外の麺も多くあり、全てが冷麺の通販サイトと言う訳ではありませんが、かなりの数の通販サイトがあるのは確かです。因みにキーワード”うどん 通販”では、グーグルが約20万件、ヤフーが1000万件ヒットします。これが”中華麺 通販”だと、それぞれ34万件と43万件で、唯の”麺 通販”だと、200万件と1000万件ヒットします。
実際にヒットしたサイトが全て韓国冷麺、または国産の韓国式の冷麺を取り扱っている訳では当然ありませんが、「うどん」や「ラーメン」の専門店は多くありますが、「冷麺」の専門店は余り見掛けません。
冷麺はその多くが焼肉店や一部の居酒屋等で扱われている業務用だと考えられますが、一部の地域(岩手県の盛岡や関西方面)を除き、一般家庭の食卓に乗り、日常的に食べられるようなことはまだ少なく、日本人にとってはまだまだ未知の食品だと考えていたので、この冷麺の通販サイトの多さには些か驚かれました。

冷麺(平壌冷麺)の原材料はその黎明期に於いては、蕎麦(そば)粉に緑豆の澱粉と塩で、咸興では緑豆ではなくジャガイモやトウモロコシの澱粉が使われます。コロンブスの新大陸発見が西暦の1492年ですので、ジャガイモの渡来と矛盾しません。
日本では咸興出身の青木輝人氏が、最初に盛岡冷麺(開発当初の名称は平壌冷麺)を開発したので、咸興式の麺であったと思われますが、現在では成分構成が様変わりし、澱粉が小麦粉より多く含まれます。
日本では大きく分けて、澱粉の多いタイプつと小麦粉の多いものとがあります。表現することは難しいのですが、澱粉の多いタイプは、プリプリした独特の食感で、口の中で激しく自己主張をします。これは澱粉が小麦よりも多く含まれることによると考えられ、癖のないコンニャク麺のような感じです。一方、小麦が澱粉より多いタイプは、強い弾力と、独特のコシがあります。プリプリ感は無く、口の中で馴染み、スープの絡みも良いようです。
また昔の名残か、蕎麦粉を含むタイプものも多くありますが、これも当初の蕎麦が主体のものではなく、二八蕎麦の原材料が逆転したようなもので、やはり小麦粉が主体の麺です。当初は辛くないキムチ(トンチミ)の汁で食べていたので、蕎麦の風味もそれなりに活きていたのでしょうが、真っ赤な辛いキムチでは意味がないような気がします。
冷麺の具は何が良いか

基本的に乗せる具は自由ですが、水冷麺には少し漬かり過ぎの酸味のあるキムチが最高でしょう。他の具は無くても良い気がします。冷麺の調理例の多くは、スイカやリンゴ、胡瓜や肉がふんだんに使われていますが、これは見た目を豪華に美味しそうにするだけで、冷麺本来の美味しさとは一切関係ありません。
仮にこの種の具を使うことで、冷麺がより一層美味し食べられるのならともかく、そうでないなら別々に食べたほうが遥かに食事を楽しめるような気がします。
冷たいスープでは具に及ぼすスープの影響が小さく、肉の脂身もしつこく感じられるだけです。これが熱いスープであれば、肉も柔らかくなり、とろけるような脂身の美味しさを味わえます。「具」が「愚」になっては意味がありませんので…
下は本サイト内の「キムチの起源」からの引用です

漬物の歴史は古く、中国で文献に初めて登場するのが紀元前2世紀の「詩経」で、その当時は「祖」と呼ばれる胡瓜の塩漬けで、現在のものとは恐らく異なったものであった筈です。
キムチのふるさと朝鮮では野菜の塩漬けのことをやはり中国と同じ「祖」と呼んでいましたが、高麗時代から「漬」と呼ぶようになったようです。
白菜のキムチが文献に登場するのは、高麗時代の「東国李相国集」(李相国 1168~1241)で、この時のキムチは日本の白菜漬けと同じ塩漬けで、「沈漬」と呼ばれていましたが、その後「沈菜」と呼ばれるようになりました。
朝鮮時代の歳時を詳細に記した「東国歳時記(洪錫謨著1849年)弘新文化社(1989年)」には、11月(新暦の12月にあたる)の季節料理として冷麺が紹介されています。これが冷麺が登場する最初の文献で、「そば粉の麺に、大根や白菜のキムチ(トンチミ)と豚肉をのせた料理」と紹介されています。この頃に用いられたキムチは、現在のような唐辛子を使ったものではなく、いわゆる辛くない「水キムチ」の類が主流であったと考えられます。
ちなみに文献に唐辛子を使ったキムチが登場するのは、「東国歳時記」より少し古く、「増補山林経済(柳重臨著1766年)新光出版社」で、この中には白菜キムチの他にも、多くのキムチの漬け方が書かれています。唐辛子や山椒(さんしょう)、ナスと共に、ニンニクが初めて文献に登場するのもこの時期で、まさにキムチの黎明期(れいめいき)にあたる時代と言えます。唐辛子を用いる料理も数多く紹介されており、この時期には既に唐辛子が生活に定着していたと考えられ、白菜が中国から朝鮮半島に伝ったと言われる時代とも一致します。一説には清朝に塩の生産が禁じられていた為、唐辛子を入れたのが辛いキムチの始まりとも言われています。

Traditional Japanese colors